CG MAKING
2016年10月劇場公開作品【VFX制作】
コンセプト・アートによって新たなリューク像の指針は決まった。しかし、そこから実際のCGキャラとして完成させるまでには、多くのプロセスが必要となる。「最初見た時にスゲーカッコイイとは思ったんですけど、これをCGに起こすにはどうやったらいいのかなとは思いました」と語るのは、リュークのCGを担当したキャラクター・アーティストの宮尾周司さんだ。
構造が分かるように三面図の線画を描きました。最初、CGにしていく作業のことは何も考えずに描いていたので、羽根のヒラヒラのところとか、作っていただいた宮尾さんには苦労させてしまったのかなとは思いますが(笑)。ちゃんとしたキャラクターデザインの仕事というのを初めてやらせていただいて、3DCGにするにはどういうものが必要かということがすごく勉強になりました。正面から見て絵として成立しているだけではいけなくて、横から後ろから見た時に整合性がとれていなければいけないとか、質感について分かりやすく説明をしなければいけないとか。
コンセプト・アートもリアルさを意識して細かい描き込みがされているが、完成版の3DCGも顔の皺などディテールは非常に細かい。10年前のリュークを今見返すと非常にシンプルな印象で、その差は歴然だ。
原作にはないオリジナル・キャラクター。
オリジナルストーリーで展開する本作には、リュークの他に原作にないアーマ、ベポという新しい死神キャラも登場する。いずれも高津さんのコンセプト・アートに基づくデザインだが、『デスノート』の世界観を踏襲すべく、原作に登場した別の死神がモチーフになっている。
ベポは原作のダリル=ギロオーザという死神をベースにアレンジしてほしいというお話でした。全身が装飾的なデザインなのでイメージしやすく、金属でできた仮面のような頭部とか、装飾的な模様のついた全身といった感じで提案させていただいて、割とすんなりOKになりましたね。デザインに関しては簡単に決まったんですが、質感の部分をCGアーティストの方に伝えるのにはちょっと苦労しました。金属的な質感の部分は問題なかったんですが、身体の部分ですね。原作のダリル=ギロオーザは身体がゴムっぽいような感じなんですけど、金属ほど固くなく、ゴムほど柔らかくもなく、というところで私がこだわったのがアメ細工みたいな質感なんですね。それがまたCG的には結構難しいらしく、何度もチェックして相談させていただきました。
ベポのコンセプト・アート完成版
このベポの造形に関しては、映画を1回見ただけでは気づかないような、マニアックなこだわりポイントが実はある。
コンセプト・アートでは5本指だったんですが、本編では6本指なんです。『デスノートは6冊ある』というのを、片手で表したいという監督の想いがあったようです。5本指で進めていたところを急遽6本指に変更することになりましたが、監督のこだわりも感じられる印象深いものになりました。
誰も気づかないようなところにまで込められた作り手のこだわり。
このシーンは、ぜひ本編でも確認してもらいたい。
一方、アーマのデザインは難航した。
アーマは今回の映画の中でも人間キャラとの絡みが多い重要なキャラクターだ。
原作のシドウという昆虫みたいな死神がいるんですが、それをベースに、性別を雄から雌に変えてほしいということでした。シドウは体型はスラッとしているので女性化するのもイメージしやすかったんですが、いかんせん顔がクリーチャー的に不気味なもので、どうやって女性らしくすればいいのかすごく悩んで、何枚も何枚も描きました。今回、いちばん手間がかかったキャラクターです。
シドウは原作でも大きくフィーチャーされている代表的な死神キャラの一人。性格的には愛嬌のあるキャラだが、顔つきはガイコツに昆虫のサナギを被せたような造形で、まさにモンスターである。ここから女性的な美しさを感じさせるアーマに転生するまでには、かなり大胆なアレンジの段階を踏む必要があった。
最終的にはほとんど人間に近い顔になって、外国のモデルさんみたいに綺麗な女性の顔まで行きました。それで一旦OKが出ていたんですが、やっぱり人間的すぎてインパクトがないよね、ということになって、少し元のシドウ的な方向へ戻す作業を経て、本編のようなイメージになりました。時間もかけましたし、自分としてもいちばん思い入れのあるキャラクターになっています。
アーマのコンセプト・アート完成版
完成したアーマは、異形の生物でありながら、女性らしくエレガントで美しい。ファッションブランドのアートとして使用されてもおかしくないようなイメージだ。その全身の白さは、前作の死神レムを思い出す人も多いだろう。レムに通じる哀しさを漂わせるアーマは、新たなファンを獲得するに違いない。昆虫の翅や繭を思わせる透明感のあるテクスチャーはアーマの儚さを表現しているが、それはCGを担当したキャラクター・アーティストの池田直人さんを悩ませることにもなった。
CGって透明にすると情報量が上がってレンダリングが重くなってしまうんですね。不透明にしようという話もあったんですけど、結局コンセプト・アートに沿うことになったんです。透明の中の部分も考えなければいけないし、その点での苦労はありましたけど、アーマの造形はすっと真っ直ぐ立っているポーズなので構造は単純で、作業全体は順調でした。
レンダリングとはデータから画像や映像を生成すること。物体の表面が不透明なものより中が透けて見えるものの方が情報量は増え、データファイルが大きくなる。大きなファイルを扱うと作業工程に時間がかかり、それがそのまま制作コストに跳ね返るのだ。10年前の前作に比べるとコンピュータの処理能力は格段に上がっているが、結局は限られた予算と時間の中でつねにギリギリ最大の表現が求められることに変わりはない。
10年前と比べるとマシンスペックも上がっているし、ソフトの性能も上がっていて、いちばん大きいのはZブラシというソフトの登場です。Zブラシを使うと顔の皺とかも昔に比べて本当に簡単に造形できるんですね。ディテールを作るのが簡単なので、情報量を上げるのは10年前に比べて簡単にはなっています。
『デスノート』世代による『デスノート』世界の創造。
今回の作業で、コンセプト・アーティストを立てるという方式は非常に助かったと池田さん、宮尾さんは口を揃えて言う。
アート・チームがいなかった頃はディレクターがデザインを描いたりしていたんですけど、ディレクターによって作風にバラつきがあって、時には3Dの作業者の裁量で汲み取らないといけない場合もあったんです。でもこうやってアートを用意してもらえれば、ゴールが明確なので安心して進められました。
しかもコンセプト・アーティストが社内にいるというのが大きいですね。今まではデザイン画はあっても他社のデザイナーだったりして、描いた人の意見が直接聞けないことが多かったんです。例えば質感のことだったり、いつでもすぐ聞きに行けるというのは助かりますね。
私はまだ3Dで考える頭が100%できていないので、内部構造とかまで考えられないし、細かい点で矛盾があるところの修正はベテランの皆さんにお任せしてという感じでした。
3人とも原作コミックのファンであり、本作への参加には特別な思いがあったそうだ。宮尾さんに至っては、10年前の映画がデジタル・フロンティアへの入社動機になっていて、並々ならぬ思いで本作に臨んだという。おそらく『デスノート』は世代を超えて語り継がれるコンテンツとなる。本作を見た若い観客の中から未来のCGアーティストが生まれ、また新たな死神がクリエイトされていくことだろう。
(左から)宮尾、高津、池田
宮尾
そこで一回、高津さんに線画で描いてもらったんです。それを見ながら細かいところを確認して、CGに起こしていったという感じですね。